悲しい事件が起きてしまった。仕事で直接ではないがかかわりのあった家庭で、幼い子供を道連れに無理心中。
ただ、泣いてあげること、それしかできない。
始業前、涙を振り払い、来客に接する。
何もしてあげることができなかった。
して、あげる?てめえにそんな力があるのか?と、自分が自分をなじる。
祈ることがすべてだった
ほかに何ができるだろう
(谷山浩子「DOOR」)
夜帰ってから、コドモが寝たあと、世帯主様は遅くて、
ケータイにかけたけど、話すこともできなくて、
ひとりで酒飲みながら、また泣いた。
こうして想っていることが、
想う人がたくさんいることが、
供養になるのであれば。