家事援助をお願いするの話 その1
今回の入院手術に伴い、初めて「家事援助サービス」を使うことにした。退院が金曜だったので、翌週の平日、月曜から金曜まで、夕食の準備に業者さんが来てくれた。
長いので分けて書く。
先に個人の感想とはいえ結論から。
「とても助かった。できれば広まってほしい。」
ちょっとだけ話はさかのぼる。
入院前。外来で所定の検査を受け、世帯主様立会いで説明を受けてから、別途各科共通の入院よろず相談な窓口で、医療費やら手続きやら食材アレルギーやらの説明を受けてきた。
その際、退院後の生活についてのサポートについて聞いたが、介護保険制度の対象にならないワタシにはたいして使えるものはなく、ふんわりと「普通の生活を送っていただいて結構です」と言われたに過ぎなかった。
それは困る。
重い荷物を提げて買い物に行くのも、立ちっぱなしで台所に立つのもつらい。
家族は全員仕事で遅いか、家にいない。
ばっちゃん(義母)が存命なら隣家だったので応援してくれたし、前回の子宮外妊娠の際もそうだったが、あいにく今はじっちゃん(義父)共々天国に引っ越している。
実父母は健在。しかし年齢的に頻繁な行き来は難しく、悪いことに手に怪我をして回復途上。
夕食、どうしたらいい?
ふと、職場の福利厚生が近年システムが変わって、メニュー増えたことを思い出した。
子育てや介護の私費援助サービスに少し助成していると。
調べてみた。使えそうだった。家に来て台所を見てもらいながらの打ち合わせを業者さんとして、お願いすることにした。
夕方4時にいらして、買い物して、調理して、6時に帰る。時間に余裕があれば、台所周りの磨き掃除など。
月火でひとり来て、水木金で別の人がひとり来る。買い物は近所のスーパーに行ってくる、そのスーパーの地の利に長けた人が来る(!!)、買い物のお金はサービスとは別料金、都度お小遣い帳のような出納簿で管理。献立を考えるのは世帯主様。食べたいものを、5日間分まとめて、メモっておいてください、と。
そして退院翌週。
お二人が我が家にやってきた。
月火に来た人を仮にイチコさん、
水木金に来た人をニコさんとする。
ここにいないあなたへ
退院前の診察で、摘出した子宮筋腫の大きさを聞いた。
「注射と点鼻薬で小さくして、直径15センチでした」
と言われた。
それと卵巣嚢腫(かかりつけ医での経過観察のたび5〜7センチを行き来)が、臓器ごとなくなった。
なお、通常子宮は鶏卵ひとつ分、卵巣は指先ぐらいの大きさ(個人差があります)。
世帯主様は仕事だし、コドモらも家を出て就職してるので、かばん提げてタクシーで帰宅するとひとり。
世の中を歩く為にはパジャマを着替えてアウターやインナーを着ていなけりゃいけなくて、退院する際も、おなかの傷に響かないようなワンピを着たけど、ストッキングのウエスト部分が痛かった。
Tシャツとユニクロのリラコに着替えた。
リラコのウエスト部分は、うまいこと傷をよけていた。
少し長く仕事の休みをいただいたので、概ねごろごろして、時々起き出して、昼頃おなかが減ったら近所のセコマでごはんを買った。美味しいカツ丼はまだ重たい気がして食べなかった。
相変わらずテレビはつけないで、YouTubeで星野源の各種MVを流しながらごはんを食べた。星野源の歌声にはごはんを進める効果がある(個人差があります)。
留守番してた世帯主様が少し家事をしてくれた。ちょっとだけ洗濯機を回そうと思った。
おなかが張る。
便秘とかから来るような腸の張りとはまるで違う。つまりあれだ、妊娠中無理した時に安静にしろと言わんばかりにやってくるあの時の、張り、だ。
もうそれをもたらすものは、臓器すらそこにはいないのに、張っている。
対処法は同じ。安静にする。
病院食では絶対出てこないものがいくつかある。まぁ、きっと病状により、制限さえかからなければ退院後解禁となり、ばんざーい、となる。例えばお酒。
その夜帰宅した世帯主様とちょっとだけ祝杯を挙げたのだが、翌日結構おなかぐるぐる急降下で大変なことになった。
特に病院から注意されてた訳じゃないけど、実はこれ、同様の治療をかつてなさった方からも似たようなお話を伺った。喜んで調子に乗っちゃいけないと。えーん。
入院時持っていかなくてもよかった/持ってくべきだったもの
持ってったのにほぼ使わなかったのはメガネケースと本。
メガネはもう瞬間的にいる、いらない!となるので、ケースから出し入れすることがなかった。シニアグラスなど複数お使いの方は良いかも。
本はあまり読まない。読む姿勢がつらかったり、本の重さを支えるのもしんどかったりする。長いこと眺めていられるタブレットはそこそこ使った。病棟にはWi-Fiが飛んでいないので、退院したらあっさり速度制限がかかった。
あっしまった忘れたー、というのはスプレータイプの化粧水。エビアンとかアペンヌとか、小ぶりでにおいのきつくないのを1本入れておけば、乾燥した病室でお肌のケアと気分転換、そして髪ハネをさっと整えるのに役立つ。
仰向け寝を続けると後頭部だけぐしゃぐしゃになっていき、ふと鏡を見ると、点滴スタンドを従えて髪ぐしゃぐしゃにしたかわいそうな患者さんが写ってて、しょんぼりする。
(点滴が終わってから1日ほど、歩行の際の不安解消のために何も点滴を提げてないスタンドを使ってた)
あとはこれもう運が悪かっただけなんだけど、入院前に「ペコマ」っていう道民の心のともしびセイコーマート(以下セコマ)のカードをしこたまチャージして、院内のセコマで使おう!と意気込んでたのだけど、術後歩けるようになった時には主治医の回診を控えてあまり遠出できなくて、主治医は結局消灯間際まで忙しくって、回診に登場した頃にはもうセコマ閉まってて、さほど使わないまま退院の日を迎えた。
ま、チャージは荷物にならないし、退院後自宅近くのセコマでよく使ったから、まぁいいか。
腹圧
「ふくあつ」と読む。
内視鏡手術とはいえおなかを切っているので、思いがけないところで激痛が襲ってくる。
セキができない。
傷に響くので、最初は小さく、次第に力を入れて咳き込んでいくと多少痛みは逃せる。
余談だが、気管に管を入れていた影響で、術後少しの間、スリムクラブの真栄田さんっぽい声になる。
くしゃみ?無理だ!鼻をつまんで軽く左右に振るんだ!
腹部には、大切な臓器がひしめいてる。腸が順調に動くか、感染による膀胱炎が起きないか、手術によって関係ない臓器に傷がつかなかったか、いろいろな危険因子を頭に置き、やっぱり痛いものは痛い。
それでも、個人差はあれども、ちょっとずつでも、時には後戻りしながらも、できることは増えていく。
術前に調べたり、主治医に確認したことのひとつに「子宮と卵巣を摘出したあと、おなかに空洞が出来ちゃうのか」ということがあった。
答えは明快「その部分に腸が来ますので、空洞にはなりません」。
付き添い及びお見舞いについて
まずは大原則として
「病院のルールに従ってください」
これ。
少なくともワタシの入院した病院は、昔のドラマのように手術室のランプが消えるまで廊下のベンチで待つことはない。
身内は「必ず連絡が取れる」ようにして、病棟のデイルームで待つ。
くれぐれも患者を送り出した後の空のベッドの周りの椅子でテレビ見ながらぺちゃくちゃおしゃべりしてはいけない。
カーテン1枚隔てたすぐ向こうで、痛みと戦いながら身動き取れずにいる別な患者がいるかもしれないから。
幸い、その時は身動きが取れたので、そーっとナースステーションに立ち寄って「〇〇号室のここのベッドの付き添いの人の声が大きすぎて『周りの部屋にも声が聞こえている』」と伝えて、あとのご対応をお願いしてから布団かぶってノイズキャンセラー機能付きイヤホンで音楽を聴いていた。直接言うと同室同士で角が立つ(患者さんは悪くない)あと、敵にどこから来た苦情か判別できないように細心の注意を払う。こんなスキルばかり発達していくのもどうかと思う。
仕事関係のお見舞いはお断りしていた。職場と病院はそこそこ距離があるので。
結局、手術日にだけ世帯主様に付き添いと洗濯物の持ち帰りにおいでいただいた。
翌日両親が見舞いに来た際は前述の通り歩くのもやっとだったので最小限にとどめてもらった。なんかビタミンたっぷりのジュースをもらったので、普通食になるまで冷蔵庫に入れておいた。
入退院時の手続きは全てひとりで済ませた。
コドモらはとうに就職して別々に住んでいる。
誰かの扶養に入らず職場の健康保険がついているワタシは、病院のルールでは身元保証人が世帯主様になったため、コドモらに書類を書いてもらわずに終わった。
なお、コドモらにはそのあとの場面で各々の持ち場で奮闘してもらった。ありがとー。
歩いてみよう
手術の翌朝。この病棟では回復食が重湯やお粥ではなく、「ERAS食」といってスープやゼリーや乳酸菌飲料の組み合わせによるお献立。どれも美味しく完食(飲)したが、残念ながら甘さがいつまでも口中に残ってしまう。早くお茶がほしい。歯を磨きたい。口をすすぎたい。
貴重品を入れた引き出しまで手が届かない。古い銭湯やレトロモダンな飲み屋さんなんかは靴箱が小さな木の板のカギでしょ。ここのカギはそれを小さくして樹脂にした感じ。コードを通して腕にかけて管理する。
普通のキーロックより差込口が広くて、身体の自由が多少きかなくても、薄暗くても解錠しやすいはずだけど、これが届かない。ちょっと上体を起こしてひねると痛い。そして、いろんな管が邪魔。
それでもiPhoneが入ってるので、何度かトライしてエラーしてまたトライして、なんとか引き出しを開ける。
やがて看護師さんが来た。「立ってみましょうか」と言われた。
まずベッドに腰掛け、点滴スタンド(上には点滴の袋、下には導尿に繋がったバッグが)を添えて立ち上がってみ…ると、めまいがひどくて厳しい。
しばらく休み、また起きて、4人部屋の病室の窓際のベッド前から部屋の出入口まで行って、戻って、もうそれだけでも大変な感じ。
昼食(やっぱり飲み込むタイプのもの)を挟んで、そろりそろりと歩く。
トイレまで問題なく往復できれば導尿を外すことに。
夕方点滴が終わる。身軽になれば、シャワー浴もできる。
トイレ復帰は最初バリアフリーの広い個室からスタート。転倒の危険が減って点滴スタンドを上手に移動させられるようになれば、普通の個室もオッケー。
夕食から普通食。
そういえばテレビを全然見る気にならない。ワイドショーはその頃韓国の悪口ばかり言っていたし、もとよりあのタイプの番組を見なくなって久しい。あっそうだ、消灯時間を過ぎたらテレビ見るのやめようねー。音消してても、天井にちらちら光が反射してうっとおしいからねー。
術前/術後
手術前日に入院。
4人部屋は2つ空きベッド。ワタシの他に1人だけ患者さんがいて、この日手術で、付添いの家族や看護師さんや時々主治医が行き交い、ばたばたしていた。
当日は開始予定が少し早まり、午前10時半前には病室を出ることになった。
そこそこ歩けるので手術室へはストレッチャーも車椅子も使わず、歩いて行く。途中、手術室と病棟とを結ぶ、普段使えない特別なエレベーターに乗った。
降りると同行した看護師さんともども、取り違えのないように厳重な本人確認を受け、扉が開く。
総合病院なので手術室はいくつもある。ここではまだ眼鏡をかけていて良いので、「探検バクモン」のように普段見られない裏側をきょろきょろ見て、でも言われるままずんずん奥まで突き進む。
手術台は幅が狭いので、落ちないように眼鏡をこの辺りまでは掛けていられて、気をつけて気をつけて横になってから預かってもらう。頭の向きがどちらなのか一瞬迷う。その細く伸びた部分は、足首ではなく腕を固定するものだった。
てきぱきと準備が進み、折々声を掛けられ、意識してはっきり返事をする。点滴入れる場所を確保して、酸素マスクが付けられ、少しずれてるけどこれわざとなんでそのままでいいですからねー、と言われ、そうですかわかりましたと言
* * *
再び声を掛けられた時は繰り返し名前を呼ばれており、点滴の袋のあたりに吊るされた確か銀色の袋に、摘出した臓器等が入っていると聞かされた。これから本体を離れて組織検査に向かうらしい。まだ眼鏡がないので見えない。
ぼんやりと病室に戻ってきた。今度はストレッチャーで。
当初の予定では2時間半程度で済むんだったのが、案の定臓器癒着が進んでいて、4時間かかってしまったそうだ。有り難いことに開腹に切り替えることなく、切る長さは最小限で済んだ。退院時に明細を確認すると、麻酔は追加されていた。
飲水の許可が出てもそんなに欲しくない。ポカリを勧められたが手をつけず、ゆっくりゆっくりゼリー飲料を流し込み、これなら飲めそうですかと冷蔵庫から出してストローをさしてもらったジャスミン茶は、一晩かかっても飲み切れなかった。
お腹はどうなっているか寝ててよくわからなくてとにかく痛い。喉に挿入されていた管の痕跡と、尿管にまだ刺さっているカテーテルがひたすらに不愉快。
気がついたら、同室の患者さんが増えて満室になっていた。