胸の振子~はてなブログにおひっこし

というわけで、さるさる日記→はてなダイアリー→はてなブログと引っ越しを重ねそして

ハッピーバースディ徳さん。

本日は京都祇園祭の日で、パリ祭で、
なおかつ徳さんの誕生日である。
昭和26年生まれなので、51歳である。
もし生きていれば、の話だが。

北海道に住んでいる30代以上であれば、覚えているだろうか。
HBC(北海道放送)のアナウンサーであった、
田中徳志郎さんである。

ワタシは中学校に上がるお祝いに、「NHK基礎英語」を聞く、という名目で
親から銀色のラジカセを買ってもらった。
基礎英語は当然途中から真面目に聞かなくなるのだが、
午後4時からの「ベスト10ほっかいどう」はせっせと聴いた。
邦楽ヒットチャートをチェックするのは勿論、
徳さんの声と「子供におもねらない」語り口が好きだった。

母親に言わせると「おネツあげちゃって」っつー表現になってしまうのだが。
ちがわい、と思ったってやっぱりラジオは欠かさず聴いた。
ザ・ベストテン」「朝のホットライン」等の全国ネットのテレビにも
ちょくちょく中継で出ていたので、道外でも知られてたかもしれない。
親の転勤で引っ越して、ラジオの電波が山に阻まれたときには、
結露でべったりの窓枠にラジオを立て掛けた。

再び札幌に引っ越してきた日、荷物ほどくのもそこそこにラジオ出して
クリアな音声で徳さんのトークが聴けた時の感激といったらもう。
しかしワタシが高校1年の夏、
新番組(テレビの深夜番組)のスタートを待たず、突然番組から降板する。
慢性肝炎でドクターストップがかかったためだった。

きっといつかマイクの前に戻ってくる、信じ続けていた。
しかし願いは10年前の吹雪の夜見た、その日の朝刊の死亡広告に打ち砕かれた。
平成4年3月3日、呼吸不全。
なぜ朝刊を夜まで見なかったか。
ワタシはその秋の結婚を前に、式の準備とデートに明け暮れる毎日だったのだ。

翌日、急遽休みをとって、告別式に参列した。弔辞は同期の桜井宏さん。
ハガキ1回、電話リクエスト1回ずつしかしなかった。
どきどきもんだったのだ。でも両方読まれた。
「取って食うわけじゃないのに〜」って番組中で言われて
部屋中踊りまわったっけ…
でも、実際に3次元の徳さんのそばまで行けたのは、焼香のときだった。

2chで「徳さんってこのごろ見かけないと思ったら、もう亡くなったなんて」
というカキコを見る時代になった。
おめでとう。そしてありがとう。