ごめんね耳
仕事に少しずつ戻っている。
たくさんのものと戦っている。
そのいくつかは目には見えない。たぶん誰にも分からない。
症状としてずっと前から
この敏感な耳がつらくするのだこの耳がワタシに意地悪をするのだ、
と思っていたのだが、違うらしいと最近知った。
耳は耳の仕事を誠実に果たして音を集めているだけで
今は脳みそでその音の情報をいるものといらないものとに仕分ける作業が飽和状態になって
聴こえてきたものにひとつひとつまともに反応してしまうらしい、
ざっくりな説明だけど、ごめんね耳。
とすると
世の中はいらない音に満ち満ちている。
この身体さえも音を発している(心臓はそれが仕事だ)のに
まだ音を突きつけてくるのかこの世界は。
特につらいものは
必要あって仕方なく買い物に行く店内で垂れ流されるBGM
(それで宅配を駆使するようになった。詳しくは書かないがチャイムを鳴らさないで届けてもらうスタイルがあり、とても感謝している)
何が楽しいのか無限に喋り続けるおばさんという生物の発する音声
(自分もおばさんのうちのひとりだが、そんなに長く大きく甲高い声では喋れない)
北海道の夕刻、民放の情報番組と称する金太郎飴のようなたくさんのテレビ番組たち
(道内のこの業界の雇用拡大のためにはもしかすると必要なのかもしれないし、翌日の除雪があるので天気予報は見るが、節電を心がけるならこの時間帯のテレビは消すに限る)
ほんとはパソコンもつらいので、キーもマウスもそうっと触っている。
ええっとその、あのカチャカチャな音、気をつけましょうね、お互いに。
除雪車の音とヘリコプターの音は、許している。頑張っているんだもんなあ。
今までずっとごめんね耳。
雪は降る量が多いと大変だけど、音を少しだけ吸い取ってくれるよ。
雪まつり?あの季節は札幌を知らない人に明け渡すようなもの。
あの大音量が過ぎたら、もう一度静かな雪が来る。